家を買うという事 その7 | び~えむの日記

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徒然なる日々思う事を書き留める日記

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さて、母親の闘病生活が始まるわけですが、私は母親に何が出来る

だろうという自問自答の毎日を過ごす事になります。

母親は仕事を辞めるも、今まで何かしらをやっていた人が急に何もす

る事が無くなったわけで、何をしてよいやら分からない様子でした。

最初のうちはまだ身体も動くので自分で車を運転して友人と旅行に行

ったり何かの習い事に行ったりとしていましたが、段々とそういう気力

も無くなり家に引きこもりがちになります。

私は、BARも閉店する事にして、なるべく自分がそばに居て何かして

欲しい事のサポートをしていました。

今にして思えば、株やパチ稼働という時間に自由が利く事を生業にし

ていた事がこのような形で活きてくれて、私にとっても自己肯定が出来

て良かったのかもしれません。

 

母親は、元々モノを捨てられない性格の人で、ただでさえモノが多い家

の中が益々ゴミ屋敷化していきます。

引きこもりがちの頃になると、いつしか何かモノを作って残そうと、知り合

いから着物の生地を沢山貰ってきて、バックや財布等を作り始めました。

ますます家の中が散らかりましたが、もう自分の気の済むまでやらせて

あげようと見守る事にしました。

 

母親の唯一の特技が料理で、とにかく原価には全く気も留めないで味

のみを追及するスタイルでしたが、それも本人のやりたいように任せて

いました。私は母のやり甲斐の為になればと夕飯は必ず作って貰うよ

うにしていました。

どんなに身体がしんどくても自分の役割だと感じていたのか、無理して

でも必ず毎日夕飯は作ろうとしてくれていました。

母親の料理はいつも美味しいのですが、段々と味が整わなくなって行く

のが分かります。ある時から母がしきりに美味しいかどうかを聞いてくる

ようになります。

ちゃんと美味しいよ。と素直に答えても、本当に美味しい?と毎回のよう

に聞いてきます。

 

ある日、母親が寂しそうに、

「ごめんよ、もう夕飯作ってあげられないよ。もう味が全く分からないんよ」

 

と私に伝えてきました。おそらく徐々に衰えていく味覚に対して経験則で味

を調えてたのだと思います。私はなんて答えて良いか分かりませんでした。

 

やりがいを失ったからか、その後すぐに容態を悪くし入院してしまいます。

病院には居たくない。家に帰りたい。と口癖のように言っていました。

最期の方に、先生から家に帰る許可が下りて、食事制限も無くなり好きな

食べ物モノを食べても良いと言われました。今思えば本当に最期の段階

だからこその許可なのですが当時は私は気が付けず、何度も入退院を

繰り返した内のまたその時の一回が来た。くらいの感覚でした。

癌は徐々に身体を蝕むのでその過程ではいつも通りに感じてしまうのです。

 

入退院を繰り返す間隔が徐々に短くなっていく中、母が帰宅時に容態が悪

くなり急遽病院へ搬送。

入院してから親戚もお見舞いに来て貰えたりして、談笑する程度には回復

していて、また明日来るよ。と言葉を交わし一旦家に帰ったその日の夜に

容態が急変し、病院から呼び出しを受けます。

 

「出来るだけ急いできてください!」

 

電話口での看護師さんの言葉でただ事では無い事が分かります。

病院に着くとさっきまで話が出来ていた母は、呼吸器をつけてベッドに寝か

されていました。手を握って呼びかけてあげてください。と看護師さんから

傍へ促されドラマで観たような心電図の示す値がが徐々に衰えていき、呼吸

も弱くなっていきます。母親はすでに意識は無く、眠っているような表情で

その時が来るのを待っているかのようでした。

最期に息が途絶え、私は少しの間目の前が真っ白しなり、そして頭の中で

ようやく母が亡くなった事を理解すると涙が溢れてきました。

 

 

 

先生が部屋に入ってきて最期のご臨終の確認をされ、呼吸器が外されます。

病院から、亡くなった今の時点からお通夜&葬式の準備に入る事を告げられ

私は急な事だったので軽いパニック状態になります。

ご臨終から30分ほど遅れて親戚が来てくれたのですが、助けてくれる

どころか逆に早く今後の予定を決めてくれないと困る!と私に葬式の手続きを

急かしつけます。母の家族は実質私しか居ないので、全部自分で決めるしか

ないという状況。看護師さんに母親に着せる最期の服を家に取りに行くように

促され一旦帰宅しPCでひたすら検索をして、どうにか任せられる葬式業者さん

を見つけます。

とりあえず一旦はホッとするのですが、家の中の散乱具合を見て青くなります。

これからお通夜をするというのに、とても人を上げられる状況でない程の荒れ

模様で、急遽親戚を巻き込んでの大掃除&お通夜の支度となりました。

 

無事、お通夜&お葬式を終えてようやく一服かと思えばそんな事は無く、

母親に関する様々な手続きに入ります。死亡届の提出や銀行口座の解約等

一つ一つ地道にやりました。※死亡後手続き

家の中の掃除も含め、なんだかんだで49日法要くらいまではバタバタと忙し

かったように思います。

法要とか手続きとか何でこんなにめんどくさい事を遺族にさせるんだよ!

と当時は憤った気持ちを持ったりもしましたが、悲しみを忙しさで忘れさせる為

にこういう制度が昔から残っているのかもしれない。良く出来た制度なのかも。

なんて思い、自分の中で妙に納得させられたりもしました。

 

忙しすぎて母親の死をゆっくりと実感する暇のない日々を過ごし、ようやく

落ち着いた日常に戻る頃、ふと自分の心の中がぽっかりと穴の開いたような

状態になっている事に気がつくのでした。